スパイスでなく
銀座でカフェタイム、有楽町で飲み会の日曜日。お付き合いしてくれたのは、毎度お世話になっておりますな葉っぱ嬢としーちゃん。当初は「キノコ展」に行く予定だったのが、なんと日曜祝日が休みという落とし穴。
かくて急遽の行き先変更。
前から行ってみたかったカフェの「GINZA KARACU]へ。
写真は私のオーダーした「石窯スフレ」(\945)
スフレと言えば前に自由が丘で体験したけれど、それよりずっと甘さ控えめでオレンジの香りと一緒にむしろ和風な甘みを感じる。口あたりはかなりのふわっふわ。
しかし大きさと値段を比較すると…コストパフォーマンス低いなあ。まあ、スフレに限らず甘いものを大量に食べるのは野暮でしかないけれど。
こちらは葉っぱちゃんのフルーツ・グラタン。 プリンのようなものかと思ったら思いのほかとろとろで驚いた。甘さでいえばこちらのほうがスフレよりずっと強い。
写真はないけれど、しーちゃんのケーキもひと口もらったら洋酒のしっかり効いた濃い味だった。
夕方になると同時に飲み屋へ突貫。私の栄養補給に協力して頂きました。
私にとって「食事」は「誰かと過ごすこと」とイコールで結ばれるので、ひとりのときはどうしたって作るのも食べるのも面倒になる。極端なことを言えば単純に栄養摂取の義務と考えてしまう。だからツナ缶だろうがSOYJOYだろうが、「要は食べてればいいんでしょ」的な発想になる。
特別な会話でなくていい。旬の野菜のこととか、味のこととか、今日はこれが特売で最後の一個だったんだよ、とか――そういう他愛もないこと。あるいは喋りたくないなら黙っていたっていい。喋っていても黙っていても一緒にいられるのが家族で、意味なんかなくても繋がりあえる関係は、決して他のものではとっかえがきかない。私にとってその存在は美味しく食べるためのスパイスではなく、むしろ米やパン以上の「主食」となりうる。
いま一人暮らしをしている人だって、たまに家族と一緒に食べるご飯はやはりなにか違うものを感じるんじゃないだろうか。それは舌よりも心で味わうものとして。
恋人や友人は家族とはまた違うけれど、一緒にいてご飯を食べることを許し・許される仲というのはやっぱり特別で得難いから。
ネットだけで繋がる相手よりも、直接「ご飯食べようよ」と言える相手。そういう相手にもっと目を向け心を傾けなければいけないのだと、最近とみにそう思う。
生きている間しか一緒に過ごせないのだから。
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